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表現するということを考えた時、その手段となり得るものは実は少ない。文章を書くことももちろんそうだが、俳句も自己表現の一つだと言える。俳句というのはただ一句だけを鑑賞するだけではなくて、幾つかの句を通して作者という人間を鑑賞することも可能な文学なのだそうだ。俳句の中には作者の色というのが自然と滲み出てくる。彼は「自分という人間を感じてもらいたい」と言っていた。自己を表現するということ。自分なりの世界観をはっきりと自覚しながら生きている若者は少ない。
若い時の感性は瑞々しい。当人はどう感じていても周りはそう取ってくれる。これは人間が生まれてから成長していく中で掴み取っていく自分なりの言葉というのが単純に世代のずれから、読み手に新鮮に映るからだろう。彼は高校時代に、1999年の第二回俳句甲子園で愛光学園の代表の一人として参加し、団体優勝及び最優秀個人賞を受賞した。高校の頃からメディアに露出することが多かった。しかし、彼自身の言葉はいたって謙虚だ。「句集は製作しましたが、この句集はまさに出発点にすぎないと思っているので」。今の日本では俳句は職業として成り立たない。俳句を職業としてやっていくつもりはないという。しかし、「俳句をやめるつもりもない」ときっぱり。今後、長きに渡って精力的に続けていくようだ。勝負はこれからだ。「今は若いということで見てもらえている部分もあるので」。若い感性だけでは生き残っていけないことを、彼は強く自覚している。これから問われるのは彼独自の感性、世界観だ。句集を作るということは、彼自身の持つ色をより鮮明に描き出していく作業だ。彼が次のステップに進むため、そして現在の彼自身を知るため。今回の出版は二重の意味を持つ。
「句集を出版したことでようやく同じ土俵に上がったことになる」と彼は言う。俳句の世界では、句をまとめ、完全な装丁を付けて表すことで評価の対象となる。そしてようやく、今までの自分を見てもらうことができる。だから今回の出版の目的は、本屋に並べてもらうのではなく、自分の句集を見てもらいたい人に送ることだという。今回の句集は俳壇の人に名前を知ってもらうため、そして次回の句集では権威があるとされている賞を取れるぐらいしっかりと練り込んだものを。「俳壇で認めてもらうために必要なステップの一つなんです」。自分の歩んでいく道を見極め、実践していくのは簡単ではない。しかし彼の眼は、これから歩んでいく道をしっかりと見据えていた。
彼が俳句というものを始めるきっかけとなったのは、高一の時に現在の師でもある夏井いつきさんとの出会いだった。それまでは俳句をダサいと感じていたともいう。しかし、自分の言葉で実に生き生きと俳句を、そして句を作るということを語る姿を見て、俳句という世界に引き込まれていく。現代の日本では、私たちが俳句などの日本の伝統文化に触れる機会は主に教科書、またはTV、新聞など限られている。実際に人から教えてもらえる機会は稀だ。「今の教育だと育まれる前に殺されちゃっているような気がして」という思いを持つ彼は
大学で国語の教員免許を取るつもりだ。それが今見える中での、俳句と自分と社会の接点になる。今、教科書を使って日本の文化や伝統芸能を、身をもって実践して子供に伝えることが出来る人は少ない。だから「そのきっかけを与えていける存在になりたい」と彼は語る。
現在、日本の伝統と呼ばれるものを若い世代で継承している人数はそんなには多くない。そして現在では、その中一つである俳句を生業としてやっていくのは難しい。彼の今回の出版は次の世代が俳句というものを作りやすくするための土壌作りでもある。彼の眼は、自分の未来を見据えて、今後の自分と俳句との関わり方をしっかりと捉えていた。現在、日本の伝統に対して、創作側にしろ、受け手側にしろ、若い世代に変化の兆しが現れ始めている。三味線では吉田兄弟がその引き金となり、彼等を通じて三味線というものを身近な存在として感じるようになった。俳句も誰かが引き金を引けば社会での見られ方、受け入れられ方が変化しても当然おかしくはない。森川大和さんの今回の出版はそれに対する挑戦だといったら言い過ぎだろうか。「句集を出すことは俳句の世界で競争する人々と同じ土俵に上がることだ」。その言葉通り彼は戦いの場へと一歩踏み出したのだ。彼の中では、もう挑戦は始まっている。(了)
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